シーナ&ロケッツ 鮎川誠「演奏できる喜びがすべて」新作に込めた愛
音楽をこよなく愛する、ライター・エディター・コラムニストのかわむらあみりです。【音楽通信】第28回目に登場するのは、日本のロックシーンのリビングレジェンドであるバンド「シーナ&ロケッツ」から、ギター&ボーカルの鮎川誠さん!
ギターとの出会いは小学校5年生のとき
日本ロック界のパイオニア、シーナ&ロケッツのリーダーでもある鮎川誠。1948年、福岡県生まれ。
【音楽通信】vol. 28
鮎川誠さん(ギター&ボーカル)、妻のシーナさん(ボーカル&タンバリン)を中心に結成されたバンド、シーナ&ロケッツ。1978年に1stシングル「涙のハイウェイ」でデビュー、その翌年、2ndシングル「ユー・メイ・ドリーム」がヒットして全国区での人気獲得以降も、数々の名曲を発表しています。
2014年にリリースされた18枚目のアルバム『ROKKET RIDE』はロングセールスを記録し、シーナ&ロケッツのデビュー当時をリアルに描いたドラマも放送されるなど、大きな話題を呼びました。
2015年2月14日にシーナさんがご逝去された後も、鮎川さんはシーナさんのロックンロールハートを胸に抱いて走り続け、オリジナルメンバーでベースの奈良敏博さん、ドラムの川嶋一秀さんと共に、現在もエネルギッシュなライブ活動を続けています。
そんなシーナ&ロケッツが、シーナさんのラストレコーディング7曲も収録された“ライフタイムカバーアルバム”『LIVE FOR TODAY ! -SHEENA LAST RECORDING & UNISSUED TRACKS-』を2020年2月14日にリリースされるということで、鮎川さんにお話をうかがいました。
ーー日本のロックシーンにおいて、誰もが憧れるバンド、シーナ&ロケッツのギタリストとしてご活躍されている鮎川さんが、そもそもギターを始めたのはいつ頃ですか。
小学校5年生ぐらいのときに、母に「誕生日のプレゼントをギターにして」とねだってプレゼントしてもらったのが、最初のギターとの付き合いの始まり。でも、そこから中学校ぐらいまではギターをほったらかしにしていたんです。
その一方で、僕はラジオをよく聞く子どもやったのですが、60年代にはラジオですてきな音楽がいっぱいかかっていて、そのなかにザ・ベンチャーズ(アメリカのインストゥルメンタルバンド)、クリフ・リチャード(イギリスの歌手)といったお気に入りのミュージシャンが出てきました。
中学2年生のときに、いまでも一番僕の音楽の深いところに影響を与えてくれているレイ・チャールズ(ソウルミュージックの神さまといわれるアメリカの歌手でピアニスト)、そしてリトル・リチャード(アメリカの歌手)といった、“ロックンロール”や“ブルース”と呼ばれる音楽を初めて聴いたんです。
中学3年生の終わりには、ザ・ビートルズがデビューして、彼らの印象的なフレーズをギターで弾きたくなって、耳で聴いてギターを触っていたら、またギターが身近になってきました。
高校生になると、さらにギターへの興味が増し、ギター好きな仲間に教わったり、調べたりして過ごしていました。世界的に人気絶頂だったザ・ビートルズの来日公演をテレビで見た高3の時は、バンドを作っているという友人にちょうど声をかけられて、ザ・ビートルズの曲を弾いていましたね。
高3だから受験生だったけど、バンドが楽しくて勉強はどうでもよくなって、ふとんの中に入っても「あの曲はどう弾こうかな」と考えているような毎日でした。高校生だから自由になるお金もなかったけど、修学旅行用に積み立てたお金が学校にあることに気づいて、先生に旅行に行かないと言って、返還してもらいました。まとまったお金が手に入って、友人が売りたいと言ったエレキギターを手に入れたんです。
それで浪人したんですけどね。当時はエレキギターを弾くとか、ロックが好きだと言うと、大人から呼び止められるようなご時世だったけど、大学に行っても、音楽に一生懸命没頭したいと計画を立てました。近所で授業料の安い大学を調べたら、九州大学があったから、なんとか潜り込みました。
浪人時代には福岡の久留米という街に住んでいたんです。中洲という、博多の盛り場で毎晩ライブをやっている、ジ・アタックというバンドの噂を聞いていたから、九州大学の入学式の午後に、場所を調べてすっとんでいって。そしたら、「今日からギターを一緒に弾いていいよ」と仲間に入れてくれて、大学の授業をするよりも先に、中洲のバンドマン生活が始まったんです。
学校にも行きよったけども、毎晩、バンドでの夢のような楽しい時間を過ごしました。ザ・ローリングストーンズやザ・ビートルズなどのイギリスの洋楽が大好きだったけど、ジ・アタックはその音楽に影響を与えたアメリカのモータウンの音楽を専門でやっていたから、最高の修行の場所やった。そのジ・アタックの、親友でリードギターの篠山哲雄さんと、2年間、バンドを出たり入ったりして。
そして僕たちが好きな黒人の音楽に、同じように影響を受けていたレッド・ツェッペリン(イギリスのバンド)、エリック・クラプトン(イギリスのアーティスト)といった“ホワイトブルース”とみんなが呼びよった音楽があって。黒人だけのブルースではなくて、世界中のイエローもホワイトもみんなが「ブルースからもう一度ロックを始めよう」という機運が世界中で高まっていたんです。
大学に入学してから3年ぐらい経った頃、今度はブルースをもう少し真剣に聴きたいと思い、同じような仲間と出会って、サンハウスというバンドを結成しました。その後、解散してから1978年に、シーナ&ロケッツを結成したんです。
アルバムには僕らの流儀が入っている
ーー2月14日に、カバーアルバム『LIVE FOR TODAY ! -SHEENA LAST RECORDING & UNISSUED TRACKS-』を発表されるきっかけを教えてください。
きっかけは、僕たちが最後のアルバムだと思って、シーナと一緒に作って2014年に発表した『ROKKET RIDE』というアルバム。このアルバムのレコーディングで、3日間スタジオを押さえとったけど、2日で録り終えたので、僕たちは1日、自由に演奏できる日があったんです。その自由に演奏した曲も録音していて、発表しないままの7曲がそのままになっていたことが、ずっと心にひっかかっていました。
2015年にシーナがこの世におらんようになっても、僕はその時点で、36年一緒にずっとぶっ飛ばしてきたシーナ&ロケッツを守って行くち決めて。
その7曲をずっと家では聴いてたんですけども、どうしていいかわからんやったんです。みんなに聴いてほしいと思いつつ、シーナが亡くなったことに便乗して追悼盤を出すような気にもなれなくて。
そのときに、レコード会社のスタッフが「この曲を発表しましょう」と後押ししてくれて、おまけにこれまでレコーディングしてお蔵入りになっていた楽曲をたくさん見つけてきてくれたんです。その音源を聴いてみたら、カバーというか、僕らが大好きなアーティストの曲ばっかりでした。
カバーをやろうとして作ったわけではなくて、僕たちにとってカバー曲は、1stアルバムのときから自分たちの好きなザ・キンクス(イギリスのロックバンド)も入れてきてるから、オリジナル曲と両輪の車みたいなもん。好きなアーティストの曲を演奏するのは、自分たちのバンドの原点という感じ。
曲をまとめる切り口としては“カバー”というあっけない呼び方ですけれども、僕たちの中では、原曲を愛してやまない気持ちがあってこそで、カバーと呼ぶ以上のものなんです。それも前好きやったというわけではなくて、1回好きになったものは死ぬまで好きで、いまもやりたい。
カバーアルバムを作るために選曲したんじゃなくて、僕たちはいつもトータルに、“ライフスタイルカバー”。アルバムには18曲カバーが入っていますが、それはライフタイムであり、ライフスタイルといえる選曲でした。
ーーごく自然体で好きな曲を演奏された結果、カバー曲もオリジナル曲も、同じように日々の生活に溶け込んで発信していらっしゃるのですね。
そう。シーナ&ロケッツは、僕とシーナで作ったバンドです。メンバーが途中、変わることもあったけども、いまは最初のメンバーで演奏できてるっちゅうことで、体と脳みそが一体化したバンドだから。ものすごい自由になんでもやれるし、思いついたことはすぐ音に出せる。いまのシーナ&ロケッツはとても幸せなんです。
僕らは全部、4人だけでやるし、たまにゲストミュージシャンが入ることもありますが、アレンジャーもいない。僕らのヘッドアレンジは、「せーのでいこうぜ」ということ。顔を見合わせながら演奏するスタイルで40何年間ずっとやってきたんです。
クオリティをあげるために念密なレコーディングもしているけれども、わーっと気分が上がったときには「せーの!」で演るのが一番、最高にハッピーやし、それをずっと守ってやってきたから。今回のアルバムも、僕らの流儀が入ってると思う。僕たちの音楽への向き合い方というか、捧げ方ちゅうか。
自分たちが演奏できる喜びがすべて
ーーシーナさんは日本のグループサウンズが大好きだったそうですが、アルバムにはザ・テンプターズの「今日を生きよう」が収録されていますね。
彼らの「Let’s Live For Today」という、「今日を生きよう」という曲をカバーしたんです。僕ら60年代の終わりに、日本でも“グループサウンズ”と呼ばれていたロックンロールバンドが突然たくさん生まれてきたんですね。ザ・スパイダースやザ・タイガース、ザ・テンプターズなど、その頃から僕ら大好きやったし。
シーナはザ・テンプターズのショーケン(萩原健一さん)と電話したこともあるくらい大ファンやったし、「今日を生きよう」をシーナ&ロケッツでやってみようと、僕がリクエストしたんです。シーナが歌うグループサウンズは、ちゃんと自分で消化して歌う歌い方で、すごく好き。
ほかにもザ・スパイダースの「夕陽が泣いている」などのお気に入りやった曲をたまにやるんです。そのなかで「今日を生きよう」を、2014年のアルバム『ROKKET RIDE』の3日目のレコーディングのときに演奏しました。
ーー「あの曲をやってみよう」とその場で急に提案して、楽譜などを見ることなく、鮎川さんはじめメンバーのみなさんもすぐに演奏できるものなのですか。
普通にすぐできるんですけど、それは自慢です。みんな息が合うし、心はひとつやから。同じような気持ちで4人が演奏するのは、とても貴重なことやし、すてきなことなんです。ほかのバンドだと誰かが「はみでんように!」と、レコーディングで音符が1個ずれたり、間違いだったり、リズムがずれたとか小さいことばっかり気にする。
僕たちは小さいことは気にせんで、自分たちが演奏できる喜びがすべてで、そのためにずっとやってきてるという感じ。今回のアルバムに「今日を生きよう」を入れたことによって、「Live For Today」というフレーズをアルバムタイトルにいただいたんです。
オノ・ヨーコさんにジョン・レノンとの自宅へ招待される
ーー11曲目には、オノ・ヨーコさんの曲「KISS KISS KISS」のカバーも入っていますね。
ヨーコさんの曲は、ゴマをするために録ってあった(笑)。1988年に僕らの『HAPPY HOUSE』というアルバムのレコーディングで、ニューヨークのスタジオに行くことがあって。ボブ・グルーエン(世界的なロックフォトグラファー)とか、音楽評論家の湯川れい子さんも、ヨーコさんに「日本のバンドがニューヨークに行ってるから会ってみたら」と僕らが行くときにすすめてくれて、いろいろとヨーコさんにご縁があって。
レコーディングスタジオに、ヨーコさんが激励に来てくれることになって、僕らだけじゃなく、スタジオ中が「オノ・ヨーコが来る!」と大騒ぎになったんです。そのときに、せっかくヨーコさんが来てくれるから、ジョンとヨーコの曲を1曲演奏したらどうかということになって。それでジョンとヨーコさんの共作の『ダブル・ファンタジー』(1980年発売)というアルバムに入っている「KISS KISS KISS」にしようとシーナが言ったんです。これはジョンが亡くなる前の最後のアルバムやね。
僕らは急いで曲をスケッチする感じで演奏して、録音ボタンを押して、それでヨーコさんに聴いてもらったと思う。ヨーコさんもほかに「HAPPY HOUSE」という僕らの一押しの曲を聴いてくれて、「これは売れるわよ!」と言ってくれて、一緒に写真も撮りました。僕はザ・ビートルズも、ジョン・レノンもずっと憧れやったし、ギターの弾き方も歌い方も作る曲も好きで、ジョン・レノンは別格やったからね。
それからヨーコさんが自宅アパートのダコタ・ハウスへ招待してくれて、メンバーみんなで行くと、福助の人形が飾ってあって笑いよったら、「ジョンは福助だけ持って私の家に転がり込んできた」と、ジョンとの出会いのこともヨーコさんが話してくれて。
棚に飾って大事に置いてあったその福助の人形は、ザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967年発売)というアルバムのジャケ写にも登場しています。
ーー貴重な体験をされているのですね。いまもヨーコさんとは交流はありますか。
交流だなんて、僕からそんなずうずうしいことはせんけど、ヨーコさんが日本に来たら会いにいきます。1990年に東京ドームでやった、ジョン・レノンの生誕50周年を記念したイベント『グリーニング・オブ・ザ・ワールド 』にも参加しました。
国内外のそうそうたる人たち、マイルス・デイビス、ナタリー・コール、レニー・クラヴィッツ、忌野清志郎さん、細野晴臣さんとかみんなでジョンの歌を歌ったときも、ヨーコさんは僕らのことを褒めてくれて、「ロックンロールバンドはあなたたちぐらいでしょ」って(笑)。
「レモンティー」が最後の歌になると思わなかった
ーー収録曲の「レモンティー」は、2014年4月10日に歌ったこのテイクが、シーナさん最後のレコーディング曲だったのですか。
シーナがいるシーナ&ロケッツとして、最後となる歌になってしまいました。いまも毎日聴いています。聴くほどに、シーナの声は素晴らしいです。嫁さんやけ、自分で言うのも手前味噌だけど(笑)。歌を自由に楽しんで、自分の中で消化しているのがすごいなって、完璧ではないんだけど、“ロックする”ということへの気持ちがすごく伝わるように歌ってくれる。
僕ら、1978年にエルヴィス・コステロ(イギリスのロックアーティスト)の前座としてステージデビューしたんですけど、バンドで初めてのステージで、デビュー曲の「涙のハイウェイ」しかオリジナル曲がなかったんです。
だから、チャック・ベリー(ロックンロール創始者のひとりといわれるアメリカのミュージシャン)の「カモン」とか、イギー・ポップ(アメリカのロックミュージシャン)の「ノー・ファン」といったカバー曲のレパートリーを増やしていて。
そんななかで、サンハウス時代の曲「レモンティー」もシーナ&ロケッツのレパートリーにしたんですが、それから1回もやってないときがないくらいライブでは演奏してきました。
今回のアルバムに入っている「レモンティー」も、レコーディングの空き時間に「今日もレモンティーを録ってみようよ」「いいね」ってなって。普通はレコードにもなってるし、もし外野席にディレクターがいたら「いまさら」っちゅうようなことを言うたかもしらんけど、僕ら勝手にレコーディングを進めるから、「今日のレモンティー」という感じで録ったんです。
そのときはそれが最後の歌になるとは全然思わなかった。その日に録った7曲も、プレイバックしながら仕上げていこうと思って、3日間のレコーディングは終わりました。
ーー最後のレコーディングの日は、鮎川さんとシーナさんの「38回目の結婚記念日」だったそうですね。
ずっと記念日は大事にしてきたんですけど、その日は「今日レコーディングで何をやろう」としか頭になくて、あとになって日付を見て、「結婚記念日やった」と気づいたんですけどね。そのくらいこの3日間のレコーディングは、80年代から録り慣れたビクターの青山スタジオという、3階ぐらいまである大きくて素晴らしいスタジオで録音できるという、僕らにとって久々のチャンスやったから。
世界中にスタジオがあろうけども、いまはコンピューターで作るこぢんまりしたスタジオでハイクオリティに音が録れる時代にあって、青山スタジオは生音を鳴らす空気を録音できるスタジオとして、日本にこんなスタジオがあるのが自慢ですね。
スタジオとひとことで言っても、ただ音を録ればいいということではなくて、ムードも大事。バン! と叩いたドラムが響いて、ギターもライブと同じような音が鳴る、僕たちは「レコーディングしようぜ!」という気分が上がるなかで音を録れる喜びみたいなもので、その日は頭がいっぱいやったんです。
チャック・ベリーに負けないシーナさんのボーカル
ーーチャック・べリーの「JOHNNY B. GOODE」が15曲目に入っていますね。
「JOHNNY B. GOODE」もどの曲もね、僕たちの思い入れ、ストーリーがいっぱいあるんです。60年代からロックを支えてきたのは、大学生や高校生といった若い人たちやったと思う。
そういうなかでバンドが日本にもいっぱい誕生して、みんなオリジナル曲を作り出して、80年代からは音楽が「パンクロックじゃないと」とか「ニューウェーブじゃないと」となったときに、「JOHNNY B. GOODE」という曲は、1度はレトロすぎるという印象になったこともあったんです。
誰も演奏しなくなった時期があったけれど、僕らは縁があって、伊藤ゆかりさん(洋楽のカバー曲から日本の歌謡曲まで歌う歌手)とデュエットで、チャック・ベリーメドレーをテレビで演奏する話があって、「JOHNNY B. GOODE」が浮上したから望むところだと。
歌は早口言葉でものすごい難しいけど、チャック・ベリーにシーナが負けんように歌っていて、シーナはそれを一夜漬けで覚えたのも、たまげたね。
僕らがやる「JOHNNY B. GOODE」でのロケッツスタイルに、ファンの人たちはいまでも喜んでくれるし、いまでも大切なレパートリーです。「Go! Go!」という歌詞がね、世界の民族を超えた共通語というか、言葉がわからん人たちでもこの歌を歌えば、元気が出るし、世界中のロックの合言葉になる。夢を追いかけて叶える、ギター少年とお母さんの話でね、その曲を歌えるっちゅうのがうれしいことですね。
シーナさんの命日だったバレンタインデーに発売
ーー2月14日に同時リリースされる限定盤BOX『LOVE BOX -42nd Anniversary Kollection-』には、アナログ盤(レコード)やこれまでのすべてのミュージックビデオ、デビュー当時のテレビ映像、レアライブ映像が収録されているそうですね。
そう、僕たちの約40年分の映像。僕たちは口でえらそうなことを言いよるときもあるけれど、それがちゃんと映像でも表現できていると思う。どれもカッコいいし、『MTV』(アーティストのミュージックビデオを放送する音楽専門チャンネル)も80年代に外国で始まった。
たぶん日本でちゃんとミュージックビデオを作ったのは、アルファレコード時代の僕らの曲「ベイビー・メイビー」。1979年に「ユー・メイ・ドリーム」を出したときには『MTV』やミュージックビデオという概念がまだなかったんですよ。
当時はチープで予算もかけてないけれども、とても音楽がよく聴こえるミュージックビデオを作って。僕たちは自己演出がすごい上手なん。人に言われてやるのは全然下手やからいやなんやけど、自分たちで演奏している姿を撮られていると、みんなパフォーマンスもよくなるのが自慢ですね。
シーナはロックの大ファンでもあったから、いつもファンの目でもロケッツを見て、パッと的確なアドバイスをしてくれる。映像を撮るときも「もうちょっとこっちに寄るのがいい」という些細なアドバイスやけど、それがあるかないかで、全然違う。それはロックファンやないと思いつかないこと。シーナはファンであり、クリエーターであり、プロデューサーやね。
BOXセットはね、DVDもあるし、アナログ盤もある。90年代から、レコードは作らなくなったんですね、特別なことでもない限り。もうメディアのフォーマットがレコードから移行して、CDファイルやUSB、配信という時代だけど。僕たちが音楽をかたちとして触ったり、においをかいだりするのは、レコードが最後のものなんです。
レコードは針を乗せて、最後までいったら同じところをまわりだすわけですね。針の寿命もあるし、手がかかるけれども、そうやって音楽と向き合って遊べるレコードという存在は、とても素晴らしかったことを僕は知っているんです。このレコードはこういうときに演奏したんだと実感したり、ライナーノートを読んだり、写真を見たりしながらレコードを聴く文化、音楽と遊ぶっちゅうことは、楽しみの特権なんですね。
石炭さえ入れればまた走るSLと一緒で、レコードはプレイヤーさえあれば最高の音で聴けるから、世界中にファンがいる。僕はレコードで音を残していくことを応援しているし、レコードを楽しむ張本人やから。こんなに楽しいことを伝えるチャンスがあったら、若い人にもレコードでも音楽を聴いてほしい。だから、僕らのBOXセットでは、レコードになっていることも喜びですね。
あとは、バレンタインデーがシーナの命日やったから、今年が天国へ行ってから、6年目の日になるんだね。その日にリリースをしたいっちゅうのは、僕らの願い。それをビクターレコードが聞いてくれて、2月14日の発売になりました。
これからもファンの人と楽しめれば最高
ーーオフは、どのように過ごしていますか。
ツアー中は、「休みのときはあれもしたい、これもしたい」と思うでしょ。でも終わったら、ぐたーっとなっています(笑)。それか楽器のメンテナンスをしていることが多い。常に楽器は酷使しよるし、僕のギターは50年も経つんです。
普通はギタリストの人、ピカピカの新品を使うほうがカッコいいけど、僕は縁あって出会った一台のレスポールをずっと使っているんです。それじゃないギターで弾くと、音に満足できなくて。アンプもそうで、おやすみのときには、ちょっとこまかいところをチェックしています。それとときどきDJもやるから、そのまま散らばったレコードを整理するということが多いねえ。
ーーどこかに出かけることはないんですね。
いつも出かけてるから。バンドの特権なんですけど、いつもすてきな場所ばっかり、どこ行っても、ツアーでみんな待ってくれとるから。いままでシーナとも一緒に、アメリカのミシシッピに行ったり、ロンドンやらパリに「キース・リチャーズ(ロックバンドのローリング・ストーンズのギタリスト)を聴きに行こうぜ」と、ときどきしゃれたことを思いついたり、旅行も大好きやったけれど、その瞬間じゃないとできなかったことやね。
そんなことをいっぱい体験してきてる。ミシシッピも、僕たちがミシシッピで生まれたブルースが大好きだから、「発祥の地に立ちたい」という思いだけで来とるというのを現地の人がその思いを汲んでどんどん案内してくれて。音楽を通じて、僕らを助けてくれる旅が多くて、そういう旅行は大好きです。
でももう、シーナがおらんかったら、何やったらええのっちゅう感じ。ひとりでは行きたくない(笑)。娘とも行きたくない。「ごはん食うたか?」「寝坊するなよ」という話になるから(笑)。
ーー娘さんといえば、2015年4月7日から「シーナの日」と題して、鮎川さんの末娘さんのLUCY MIRRORさんがボーカルを担当されるシーナ&ロケッツとしても、時折ライブをされています。
LUCYに「歌って」と言ったら、「いいよ」と言う日もあるし、「その日は用事がある」と言うときもあるんですね。LUCYの入ったシーナ&ロケッツの活動っちゅうのは、いまはけっこうたくさん歌ってくれるようになった。この間は北海道にも行ったし、2月から5月にもあるシーナ&ロケッツの全国ツアーにも出てくれるから。
LUCYにはシーナみたいに歌ってほしいとは全然思ってなくて、シーナはシーナしか歌えない歌があったように、LUCYはLUCYが思うシーナ&ロケッツの曲を歌ってくれて、その演奏をするのが、喜びです。LUCYはとてもパンチがあって、とてもロックの美意識がある。本人もバンドをしていたからこだわりもあるし、僕はすごいシンガーだと思うんです。
ーー鮎川さんとシーナさんのDNAが流れていますからね。
うん、そういうのがあると思う。なんか一緒にやってても安心するというか、「やっぱり同じようにやるんや」という発見もあったり。それに一番はやっぱり、歌わされているんじゃなくて、自分が歌う。それはロックの基本ですからね。やらされるんじゃなくて、「自分でやるんだ」っていう気持ち。やらされるロックは、ロックやないからね。
ーー今後のシーナ&ロケッツの活動は。
僕は今まで通り、シーナがいたときと同じ活動を普通にしていくと思います。変わったことはやらない。バンドは音で勝負っていつも言うけど、いい音を出して、いい空間をファンの人と一緒に楽しめれば最高ですね。
取材後記
シーナ&ロケッツさん、そして鮎川誠さんは、存在そのものがロックンロールで唯一無二。バンドの歴史を知ることは、同時にロックの歴史を紐解いていくように、音楽を深く知る有意義な時間でもありました。以前、シーナさんと鮎川さんのおふたりにインタビューさせていただく機会がありましたが、常に真摯にご対応してくださいました。鮎川さんのロックへの熱い想いとシーナさんへの深い愛情に感動しきりです。そんなシナロケの“ライフタイム”カバーアルバムをチェックしてみてくださいね。
シーナ&ロケッツ PROFILE
リーダーの鮎川誠(ギター&ボーカル)、シーナ(ボーカル&タンバリン)を中心に福岡県で結成。1978年10月、1stシングル「涙のハイウェイ」でデビュー。1979年12月、2ndシングル「ユー・メイ・ドリーム」がヒットし、全国区での人気を獲得。以降も「ピンナップ・ベイビー・ブルース」など数々の名曲を発表する。
2014年7月、18枚目のアルバム『ROKKET RIDE』はロング・セールスを記録。2018年にはデビュー40周年を記念して、2月にソニー、3月にビクターから、鮎川誠の監修と選曲による41曲がリマスターされた最新ベスト盤が連続リリースされた。また、シーナ&ロケッツのデビュー当時をリアルに描いた『福岡発地域ドラマ「You May Dream〜ユーメイ ドリーム」』が放送され、大きな話題となった。
2015年2月14日にシーナが病により急逝するも、鮎川誠はシーナのロックンロールハートを胸に抱いて走り続け、オリジナルメンバーの奈良敏博(B)、川嶋一秀(Ds)と共に現在もエネルギッシュなライブ活動を続けている。常に時代の中で革新的な存在であり、その活動のブレのなさにおいても日本のロックシーンで抜群の信頼感と存在感を誇り、多くのミュージシャンに影響を与え続け、リスペクトされている。
Information
New Release
『LIVE FOR TODAY ! -SHEENA LAST RECORDING & UNISSUED TRACKS-』
(通常盤CD収録曲)
01. Loudmouth
02. Baby I'm Yours
03. I Put A Spell On You
04. 雨
05. 今日を生きよう
06. You Ain't Nothin' But Fine
07. レモンティー
08. SUGAREE
09. What Becomes Of The Broken Hearted
10. Peter Gunn
11. KISS KISS KISS
12. 朝一番列車のブルース
13. ボントンルーレ
14. You Really Got Me
15. JOHNNY B. GOODE
16. Heart Of Stone
17. WILD THING
18. MY BONNIE
※CDのみ
2020年2月14日発売
VICL-65305 ¥3,000(税別)
New Release
『LOVE BOX -42nd Anniversary Kollection--』
(完全受注生産限定盤BOX収録内容)
〔CD〕
『LIVE FOR TODAY!-SHEENA LAST RECORDING & UNISSUED TRACKS-』(通常盤同内容)
〔2LP〕
『ROKKET RIDE <Deluxe>』
2014年発表のアルバム『ROKKET RIDE』全12曲を初完全アナログ化
+『LIVE FOR TODAY!』より4曲厳選収録 (合計16曲収録)。
〔7inchアナログ〕
「雨 / 今日を生きよう」
〔2DVD〕
「VIDEO KOLLECTION 1979-2019」(全43曲、約180分収録)
※CD+2LP+7inch+2DVD
2020年2月14日発売
VIZL-1695 ¥21,000(税別)
シーナ&ロケッツ オフィシャルサイト
http://rokkets.com/
シーナ&ロケッツ『LIVE FOR TODAY!』Special Site
https://www.jvcmusic.co.jp/livefortoday/
取材協力:トロワ・シャンブル